上田小県地域の神社
古式ゆかしい神事、祭事
延喜式内明神大社 生島足島神社の神事や祭事をお伝えしております。
・古来より変わらず繰り返される国家、国民の繁栄、安泰を願う神事や祭事が神社では行われています。
この特集では主に令和2年5月から9月に斎行された神事ならびに執行された祭事の一部をお伝えします。
御歳代(みとしろ)【神田】に籾種(もみだね)を蒔く、御歳代種蒔神事と祇園の神々が神の世から降りてこられる祇園天王降御祭が斎行されました。
◆祇園天王降祭は御歳代御仮殿(みとしろおかりでん)に祇園の神々
・建御名方富命(タケミナカタトミノミコト)
・建速素戔嗚命(タケハヤスサノオノミコト)
・豊受姫神(トヨウケヒメノカミ)
・若宇加能賣能命(ワカウカノメノミコト)
・大年神(オオトシノカミ)
・岡象女神(ミツハノメノカミ)
・御年神(ミトシノカミ)
がこの日から御歳代御仮殿に鎮座され、祇園祭の最終日(今年は7月25日)に神々の世にお還りになられます。
祭事は修祓(しゅばつ)が行われ、御歳代御仮殿の扉が開かれて祇園天王降祭が始まりました。
祝詞が奏上され、献饌が行われ、同時に御歳代に蒔かれる籾種が神前に奉られ執行されました。
※[修祓]神様をお招きする前に心身の罪穢(つみけがれ)を祓うことをいいます。
御歳代仮殿の御祭神
祝詞の奏上
続いて、御歳代田作りによって整えられた御歳代にて御歳代種蒔神事が斎行されました。
祝詞が奏上されたのち、籾種が宮原権禰宜から池内宮司代務に渡され、御歳代に蒔かれ、御歳代御仮殿に玉串が奉られ、御歳代種蒔神事並祇園天王降御祭は斎行されました。
祓い清め
籾種が渡され
蒔かれる籾種
延喜式内名神大社 生島足島神社で6月の大祓式【夏越の祓(なごしのはらい)】が行われました。
結界で囲まれた祓所にて太鼓が打ち鳴らされ、夏越し祓が始まりました。
大祓詞の奏上され、「木綿」(ゆう)と「麻」(あさ)が罪や穢れを祓う祓具として用いられ、それを神職によってかけ声とともに8つに引き裂いて穢れを祓う「烈布」(れっぷ)が行われました。
これは大祓詞の中に「八針に取り裂きて・・・」という節があり、それにちなんでいるそうです。
※大祓詞とはたくさんある祝詞のひとつで日本人古来から持つ考え方の自らの心身の穢れ、諸々の罪や過ちを祓う祝詞(のりと)をいいます。
先に配られた和紙の包みを開き、「切麻」(きりぬさ)を左肩、右肩、左肩の順番で身体に振りかけます。
次に「人形」で頭のてっぺんからつま先までなぞり、半年間の知らず知らずのうちに犯してしまった罪や穢れを
「人形」に託します。
最後に「人形」に息を3回吹きかけて、先程の和紙に包み自分以外の人が触れないようにして収めます。
茅の輪の前に立ち、一礼し、進行しくぐります(1回目)、くぐり抜けたら円を描くように左に廻り正面に戻り、一礼し、茅の輪をくぐります(2回目)、くぐり抜けたら今度は右に廻り正面に戻り、一礼して茅の輪をくぐります(3回目)そしてまた左に廻り正面に戻り一礼して終わります。
【性善説】
神道では人の根本は善であるとされ、孟子の道徳説の根本にある『性善説』です。
『性善説』によれば、人は生まれたときは清く、本来善への可能性が内在していてその兆しを惻隠(そくいん)、羞悪(しゅうお)、辞譲(じじょう)、是非(ぜひ)の4つの情があり、四端(したん)といいます。
この四端を拡充することで人は仁・義・礼・智(じん・ぎ・れい・ち)という4つの徳を成すとされています。
・惻隠(そくいん):あわれみいたましく思うこと
・羞悪(しゆうお):罪や悪を恥じ憎むこと
・辞譲(じじよう):謙譲であること
・是非(是非):善と悪を判断できること
【大祓式の起源】
大祓式の起源は古事記などの記紀神話に書かれている伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国から戻った時に行った禊祓い(みそぎはらい)が起源とされています。
性善説にある人間でも、知らず知らずうちに罪を犯し、穢れを身に付けてしまうとされています。大祓式はその身に付いた罪、穢れを祓い、心身共に健全に過ごせるように半年に一度(6月30日、12月31日)に宮中や全国の各神社で行わる祓いの儀式です。
また、6月の大祓式【夏越の祓い】では茅(かや)や藁(わら)を束ねた茅の輪が立てられ、それを3回くぐり、無病息災を祈ります。
※茅(かや)とは、茅萱(ちがや)菅(すげ)薄(すすき)の総称です。
【茅の輪の起源】
神話で『素戔嗚尊命』(すさのおのみこと)が旅の途中で宿を求め家をさがします。“将来”という兄弟がいて裕福な家の“巨旦将来”(弟)泊めることを断りました。貧しい家ではありましたが、“蘇民将来”(兄)は快く素戔嗚尊命を泊めおもてなしをしたそうです。
その後、素戔嗚尊命が再び蘇民将来の家に訪れ、茅の輪を腰に着けていれば厄病を免れると告げたそうです。
まもなく疫病がはやり皆死んでしまう中、蘇民将来の家族は救われたという逸話に起源しているそうです。
昔から疫病の流行を人々は大変恐れていました。
・この新型コロナウィルス感染の情勢を鑑みると、昔の人々の疫病に対する恐れは想像できるのではないでしょうか。
※今年はコロナウィルスの感染拡大防止を防止するため、参加者は数人づつに分かれ、祓い清めがされました。
6月の大祓式の始まり
大祓詞の奏上
「烈布」(れっぷ)の様子
祓い清めを受ける参加者
茅の輪
茅の輪をくぐる参加者
【祇園祭とは】
祇園祭は平安時代に京都の八坂神社で牛頭天王(ゴズテンノウ)をお祀りする神事で、貞観の時代に京の都に疫病が流行したころに由来するそうで、特に疫病などの流行が多い夏に、無病息災を願う祭事として始まったそうです。
夏は食物が傷みやすかったり、水も悪くなる時期でもあり、いろいろな流行病や伝染病なども発生しやすい時期でもあります。現代のように医療が発達していなかった昔では夏のこの時期に厄災に遭わぬように祇園の神々を迎え、厄災の除去を祈願したそうです。
※建速素戔嗚命は牛頭天王と同じ神様と考えられています。
御本社(上宮)にて
摂社 諏訪神社(下宮)にて
御本社(上社)にて「下之郷三頭獅子」の奉納の前に下之郷三頭獅子保存会、舞手、太鼓・笛の演奏者の皆さんはお祓いを受け、玉串拝礼が行い、続いて、御神橋を渡り、摂社諏訪神社(下社)に向かい、同じく玉串拝礼がされました。
神楽殿では御本社(上宮)に向かい獅子は中央の位置で青獅子を先頭に赤獅子男(雄)、赤獅子女(雌)の順番で縦に列び、下之郷三頭獅子舞(8演目)が御本社へ奉納となりました。
続いて摂社 諏訪神社(下宮)へ奉納となりますが、摂社 諏訪神社に向かい先程の列び、同じく下之郷三頭獅子舞(8演目)が摂社 諏訪神社に奉納となりました。
この下之郷三頭獅子舞は上田市の文化財指定となっていて、下之郷三頭獅子保存会によって伝承がされています。また、舞手や太鼓や笛の演奏者は下之郷地区の皆さんで構成されています。
御本社にて玉串拝礼
下之郷三頭獅子舞の奉納
下之郷三頭獅子舞の奉納
最初に御本社(上宮)にて舞手の皆さんはお祓いを受け、玉串拝礼を行い、続いて摂社 諏訪神社(下宮)にて玉串拝礼を行った後、神楽殿にて「浦安の舞」を舞い、奉納しました。
今回、「浦安の舞」の舞手は地元の小学6年生4名の皆さんです。
この日のために約1ヶ月間、ほぼ毎日2時間、生島足島神社巫女の横山実早紀(よこやまみさき)さんと樋口真衣(ひぐちまい)さんによる指導の元、練習を重ねてきたそうです。
【「浦安の舞」について】
「浦安の舞」は昭和天皇が昭和8年に詠まれた和歌を歌詞に宮内庁で振付を行い完成した舞いが「浦安の舞」です。
浦(うら)は古語では“心”と言う意味で、安(やす)は“安らか”、“穏やか”という意味だそうです。日本は「浦安国」と日本書紀にも書かれています。
「浦安の舞」は日本が心安らぐ国・平安な国であることを祈る舞いなのだそうです。
「浦安の舞」は扇舞(前半)・鈴舞(後半)からなります。扇舞に使われる扇には松竹梅や鳳凰が描かれ、飾り紐や松や梅などの飾りが付いています。
また、鈴舞では上から三個・五個・七個の鈴が付けられた神楽鈴が使われます。この神楽鈴の形は稲穂を表していて、五穀豊穣を願う意味があるそうです。
また、鈴の音は邪気を追い払うとされています。
※「浦安の舞」の鈴舞では三種の神器を模した鉾鈴(ほこすず)が使われることろもあります。
御本社にて
「浦安の舞」扇舞
「浦安の舞」鈴舞
16時30分から御歳代植苗祭(御田植神事)並祇園祭が斎行されました。
【祇園祭】
修祓が行われ、摂社 諏訪神社(下宮)より猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の旗を先頭に四神旗や御鉾、御盾が列び、「遷御」「遷御」「遷御」と三回発声が繰り返され、警蹕(オーという言葉)があげられ、金幣(きんぺい)は行列とともに神楽殿に遷られました。
御扉が開かれる
祝詞の奏上
玉串拝礼
【御田植神事】
遷座後、御歳代【神田】に移動し、宮原権禰宜より池内宮司代務に苗が渡され、御歳代に植えられました。
その後、神楽殿に移動し、玉串拝礼を池内宮司代務をはじめとする神職の方々、松澤氏子総代長及び氏子総代の方々、自治会長が行い、続けて、行列とともに金幣(きんぺい)は摂社 諏訪神社(下宮)へ還り、還座され、御扉が閉じられ、御歳代植苗祭(御田植神事)並祇園祭は斎行されました。
御歳代仮殿にて
苗が植えられる様子
御歳代に植えられた苗
【田面神事】
この神事は生島足島神社の周りに位置する昔の氏子区域の境にある田んぼに幣串(へいぐし)を立て、稲が害虫などの被害に遭わず、すくすくと育ち豊作であるように、人々が流行病や伝染病などに遭わずに無病息災で過ごせるようにと祈願する神事です。
※弊串は神札の付いた串
生島足島神社の御本社にて神様に献饌をし、祝詞が奏上され、玉串拝礼をし、一拝ののち、弊串が下げられました。
祝詞の奏上
神前から下げられる弊串
弊串とともに池内宮司代務者、権禰宜、松澤氏子総代長、氏子総代の方々が生島足島神社を出発して、昔の氏子区域にある6ヶ所の田んぼに弊串を立て、一拝して回ります。
最後に一行は生島足島神社の御歳代(神田)に弊串を立て一拝し、執行となりました。
立てられる弊串
田に一拝
立てられた弊串
御歳代に立てられる弊串
御歳代に一拝
今年はコロナウィルスの感染拡大という情勢の中での神事や祭事、例年とは少し違う様子での斎行や執行となりました。しかしながら、古来より変わらず繰り返される国家、国民の繁栄、安泰を願う神事や祭事は絶えること無く行われています。
生島足島神社 恒例祭の案内
境内の案内図
名称 | 生島足島神社 |
住所 | 長野県上田市下之郷中池西701 |
連絡先 | 0268-38-2755 |
【神事・祭事の特集3】『延喜式内名神大社 生島足島神社』の神事、祭事(令和2年10月~12月)
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延喜式内名神大社 生島足島神社便り(第54号)
「延喜式内名神大社 生島足島神社便り」の第54号のご案内!
【神事・祭事の特集2】『延喜式内名神大社 生島足島神社』の神事、祭事(令和2年5月~9月)
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