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上田小県地域の神社

【神事・祭事の特集3】『延喜式内名神大社 生島足島神社』の神事、祭事(令和2年10月~12月)

古式ゆかしい神事、祭事

延喜式内明神大社 生島足島神社神事祭事をお伝えしております。

古来より変わらず繰り返される国家、国民の繁栄、安泰を願う神事や祭事が神社では行われています。

 

この特集では主に令和2年10月から12月に斎行された神事ならびに執行された祭事の一部をお伝えします。

11月1日

『神(御)井神事(みいしんじ)』[上神(御)井祭(かみみいさい)・下神(御)井祭(しもみいさい)]

 

生島足島神社には神聖な井戸が二つあり、ひとつは御本社の脇にある上神(御)井、もう一つは神楽殿の近くにある下神(御)井です。

この井戸から汲まれる神聖な御水は毎日の献饌のお水に使われたり、特に生島足島神社の重要な神事である御籠祭(おこもりさい)での御粥に使われています。

この日、神(御)井神事(みいしんじ)[上神(御)井祭(かみみいさい)・下神(御)井祭(しもみいさい)]が斎行されました。

 

【御籠祭】

古くから行われてきた祭事で、毎年11月3日の夜、摂社の諏訪神生島足島神社の本社へ移り、毎週御粥を炊いて生島足島神に献供される儀式です。神事は11月3日より翌年の4月13日まで続き、七夜ごとの24回と12月31日・1月14日の計26回行われています。

上神(御)井祭(かみみいさい)

祭事は十三社を拝礼し、修祓(しゅばつ)が行われ、上神(御)井にて始まりました。

一拝の後、上神(御)井の蓋が開かれ、献饌が行われ、祝詞が奏上されました。

 

※[修祓]神様をお招きする前に心身の罪穢(つみけがれ)を祓うことをいいます。

十三社を拝礼し修祓

上神(御)井に一拝

上神(御)井の蓋を開ける

一拝

献饌

祝詞の奏上

つづいて、上神(御)井から御水が汲み出され、神池に注がれました。

宮司の玉串拝礼、神職がそれにならい列拝、続いて氏子総代長の玉串拝礼と共に氏子総代の方々が列拝が行なわれました。

上神(御)井から御水が汲まれる

上神(御)井から御水が汲まれる

神池に注がれる御水

宮司玉串拝礼

氏子総代長玉串拝礼

上神(御)井に蓋がされる

下神(御)井祭(しもみいさい)

続いて、下神(御)井に移り、下神(御)井祭が斎行されました。

一拝の後、献饌が行われ、祝詞の奏上、宮司が玉串拝礼し、神職がそれにならい列拝、続いて氏子総代長の玉串拝礼と共に氏子総代の方々が列拝が行なわれ、斎行されました。

祝詞の奏上

宮司玉串拝礼

氏子総代長玉串拝礼

11月3日

御移神事[諏訪様還座祭](おうつりしんじ[すわさまかんざさい])

御移神事[諏訪様還座祭]は毎年11月3日の夜、諏訪神である建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)が摂社諏訪神社(下宮)より御本社(上宮)の御座に還座される祭事です。

 

御籠祭(おこもりさい)】

生島足島神社籠殿(こもりでん)に毎年11月3日に建御名方富命こと諏訪神が遷られ、御粥を炊き生島神足島神に献飯する御籠祭が内殿で行われます。

毎週、御粥を炊いて生島足島神に献供される儀式です。

神事は11月3日より翌年の4月13日まで続き、七夜ごとの24回と12月31日・1月14日の計26回行われています。

※奉仕するのは神職が行います。

夕刻、木綿鬘(ゆうかずら)を付け、木綿襷(ゆうだすき)をかけた神職をとその一行は摂社 諏訪神社(下宮)に向かいます。

摂社 諏訪神社(下宮)に着き、修祓が行なわれ、灯りが消され、警蹕(けいひつ)が掛けられる中、摂社 諏訪神社(下宮)の御扉が開けられました。

祝詞が奏上され、御神体が神前にある唐櫃(からひつ)に御遷りされました。

神紋があしらわれた布で覆われた唐櫃は、「遷御」、「遷御」、「遷御」の掛け詞とともに摂社 諏訪社(下宮)から御本社(上宮)に向かいます。

 

【警蹕(けいひつ)とは】

「お~」と神職が発する独自の声で祭祀に参加している者に対して、(かしこ)みを促すものです。

 

【木綿(ゆう)とは】

(こうぞ)の樹皮を蒸して水にさらし,細く割いたものです。

神事では幣帛(へいはく)として神様に捧げたり、紙垂(しで)として榊につける木綿垂(ゆうしで)などに使われます。冠に懸けたものを木綿鬘、襷に使用したものを木綿襷と言います。

摂社 諏訪神社に向かう一行

修祓

祝詞の奏上

木綿鬘、木綿襷を付けた神職

唐櫃に御遷りした御神体

摂社 諏訪神社を出でる

灯りが消された御本社(上宮)御神体が着き、警蹕が掛けられるの中、本殿の御扉が開かれ、御神体が還座されました。

参列者が所定の座につき、献饌が供えられ、祝詞の奏上がされました。

宮司が玉串拝礼し、神職がそれにならい列拝、続いて氏子総代長の玉串拝礼と共に氏子総代の方々が列拝を行いました。

御扉が閉められ、宮司にならい一同が一拝して神事は斎行されました。

御本社に着いた御神体

整列した一行

祝詞の奏上

宮司玉串拝礼

氏子総代長玉串拝礼

神事の斎行

11月23日

新穀感謝祭[新嘗祭](しんこくかんしゃさい[にいなめさい])

11月23日(土)に生島足島神社にて大嘗祭奉祝奉告祭が斎行されました。

 

【新嘗祭とは】
新嘗祭(にいなめさい)または(しんじょうさい)と呼ばれる、春の「祈年祭」に対して、11月23日に行われる祭りです。

現在では「勤労感謝の日」として国民の祝日となっていますが、古来より新穀を神様にお供えする祭りの日です。

宮中神嘉殿(しんかでん)では、天皇陛下御親(おんみずか)ら新穀を神さまに捧げ、その年の収穫を感謝する新嘗祭(にいなめさい)が執り行われ、全国の神社でも斎行されているそうです。

祭事は十三社を拝礼し、修祓が行なわれ、御本社にて雅楽が奏でられる中で進められていきました。

宮司の一拝の後、献饌が供えられ、祝詞の奏上が行なわれました。

 

所定の場所に着いた参加者

雅楽が奏でられる

祝詞の奏上

続いて、神楽が奏でられる中、横山巫女さん、樋口巫女さんによる「浦安の舞」が奉納されました。

 

【「浦安の舞」について】

「浦安の舞」昭和天皇が昭和8年に詠まれた和歌を歌詞に宮内庁で振付を行い完成した舞いが「浦安の舞」です。

(うら)は古語では“”と言う意味で、(やす)は“安らか”、“穏やか”という意味だそうです。日本は「浦安国」日本書紀にも書かれています。

「浦安の舞」は日本が心安らぐ国・平安な国であることを祈る舞いなのだそうです。

「浦安の舞」は扇舞(前半)・鈴舞(後半)からなります。扇舞に使われる扇には松竹梅や鳳凰が描かれ、飾り紐や松や梅などの飾りが付いています。

また、鈴舞では上から三個・五個・七個の鈴が付けられた神楽鈴が使われます。この神楽鈴の形は稲穂を表していて、五穀豊穣を願う意味があるそうです。

また、鈴の音は邪気を追い払うとされています。

※「浦安の舞」の鈴舞では三種の神器を模した鉾鈴(ほこすず)が使われることろもあります。

浦安の舞

浦安の舞(扇舞)

浦安の舞(鈴舞)

宮司が玉串拝礼し、神職がそれにならい列拝、続いて氏子総代長の玉串拝礼と共に氏子総代の方々が列拝が行なわれました。

宮司玉串拝礼

氏子総代長玉串拝礼

一行は御本社(上宮)から摂社 諏訪神社(下宮)に向かいました。

摂社 諏訪神社(下宮)にて宮司が玉串拝礼し、神職がそれにならい列拝、続いて氏子総代長の玉串拝礼と共に氏子総代の方々が列拝を行い、祭事は斎行されました。

宮司玉串拝礼

氏子総代長玉串拝礼

浦安の舞の奉納

最初に舞手の皆さんは清め払いを受け、神楽殿にて「浦安の舞」を奉納しました。

今回、「浦安の舞」の舞手は地元の小学6年生4名の皆さん(松崎香音さん、曲尾美咲さん、平田美優さん、宮下麻衣さん)によるお神楽「浦安の舞」が披露されました。

この日のために生島足島神社巫女の横山実早紀(よこやまみさき)さんと樋口真衣(ひぐちまい)さんによる指導の元、たくさん練習を重ねてきたそうです。

清め払い

写真左から)松崎香音さん、曲尾美咲さん、平田美優さん、宮下麻衣さん

浦安の舞

「浦安の舞」扇舞

「浦安の舞」鈴舞

巫女さんと舞手とご家族の皆さん

ご案内

12月10日

新年福ダルマ清め払い式

生島足島神社斎館にて、申込みがあり名入れ、目入れがされた新年の福ダルマ(約200個)に更にお正月の参拝時に授与するたくさんの新年の福ダルマ数百個に予め目入れがされ、「新年福ダルマ清祓式」が執行されました。

通例では新年の参拝のおりに、授与されるダルマはその場で目入れと清め払いをする事になっていました。今回、生島足島神社では新型コロナウィルスの感染拡大防止を考慮し、ダルマ授与での待ち時間を短くして参拝者の方々ができる限り密接な状態にならないようにと配慮がされました。

清め祓いされる福ダルマ

玉串拝礼

振弊で清められる福ダルマ

ダルマさんの右目に目入れがされる理由 

神社では祭事の際によく弓矢を用いた所作が行われます。皆さんもご存じか思いますが、馬に跨がり、走りながら実際に矢を放ち的を射る京都・下鴨神社流鏑馬神事(やぶさめしんじ)は有名です。

 1月15日には生島足島神社において、前日の14日に御筒粥ト神事 (おつつがゆうらないしんじ)がされ、それを受けて、御筒粥卜奉告祭(おつつがゆうらないほうこくさい)、そして蟇目鳴弦(ひきめめいげん)、蛙狩神事 (かわずがりしんじ)が執り行われますが、蟇目鳴弦、蛙狩神事でも弓矢が使われます。

 

 弓矢とダルマさんの右目の目入れは深く関係しています。右手で弓を引き矢を放ちますが、その際に左目を閉じ、右目で的を見定め、矢を放ち、的を射ることになります。

 つまり、先にある“”が“祈願される事”に見立てられ、右目でしっかりと見定め、願い事が外れず“成就”するようにと生島足島神社では右目に目入れがされているそうです。諸説や風習で、ダルマさんの右目、左目どちらか先に目入れをしますが、どちらでも間違えではないそうです。

 また、目を入れることは“”を入れると言うことを指し、「開眼」と言います。“(がん)”と“(がん)”で、目入れは“願いを込める”という意味になり、年末には一年無事に過ごせた事に感謝し、満願成就したとして反対側の目を入れるそうです。ただし、最初から両目を入れることは間違いです。

右目が入れられた福ダルマ

生島足島神社の御札

【おまけ】

「日本遺産」レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」と生島足島神社の夏至と冬至


「日本遺産」レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」~龍と生きるまち 信州上田・塩田平~

でも重要な要素である生島足島神社、東西参道は冬至夏至線に合わせて作られています。参道の東西に位置する東鳥居西鳥居。夏至の日には東鳥居の真ん中より太陽があがり、冬至の日は西鳥居の真ん中に太陽が沈んでいきます。「まいぷれ上田・東御」で夏至と冬至に撮影した写真を少しご紹介します。

夏至の日に東鳥居の真ん中をあがる太陽

(令和2年6月21日撮影)

冬至の日に西鳥居の真ん中に沈む太陽

(令和2年12月21日撮影)

・今年はコロナウィルスの感染拡大という情勢の中での神事や祭事、例年とは少し違う様子での斎行や執行となりました。しかしながら、古来より変わらず繰り返される国家、国民の繁栄、安泰を願う神事や祭事は絶えること無く行われています。

・年末年始の参拝において、生島足島神社でも参拝される皆様の健康と安全に留意すべく、参拝のお願いと協力をホームページでお伝えしています。

来年が良き年になりますように皆様のご健勝を願っております。

 生島足島神社 恒例祭の案内

 境内の案内図

名称  生島足島神社
住所  長野県上田市下之郷中池西701
連絡先  0268-38-2755 

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